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人生朝露

人生朝露

高野山のキリスト教碑。

日本仏教の聖地・高野山には、キリスト教の布教をたたえる石碑が置かれているそうな。

司馬遼太郎さんとドナルド・キーンさんの対談・「日本人と日本文化」(中公文庫)によると、フランシスコ・ザビエルが、日本にキリスト教を広めるために、以下のようなやりとりがあったらしい。

ザビエル「私は神の教えを説きにこの国に来ました。」
日本人「あなたのいう神とは何のことだ?」
ザビエル「あなた達の言葉でいうと『大日(如来)』のことです。」
日本人「じゃ、異国でも我々と同じものを信じているんだな?」
ザビエル「いいえ、違います。『デウス』のことです。」
日本人「『ダイウソ』!?異国では大うそを信じているのか?」

大して面白くないオチだけど、ザビエルは、キリスト教の「神」をわかりやすく伝えるために、仏教の最高位にある「大日如来」を使っていたことがあるらしい。確かに「デウス」と「だいにち」は音も似ている。

先週の24日の毎日新聞の夕刊に面白い記事が載っていた。実は、その数日前に立ち読みしていた「日本人とキリスト教」(講談社)という本の著者、井上章一さんが高野山の奥の院にあるという「大秦景教流行中国碑」を実際に訪ねたという記事。

「大秦景教流行中国碑」 拓本。
「大秦景教流行中国碑」というのは、中国の唐の時代に「ネストリウス派キリスト教」が広まっていたことを表す石碑。日本では1549(いごよく)広まるキリスト教なんて憶えるが、中国では、その700年以上前の781年にキリスト教が伝来していた。まだまだ、仏教ですら完全に浸透していないころに、すでにキリスト教は布教されていたわけで、いかに長安が国際化していたかがわかる。ユーラシア大陸は、東西で結ばれていたことを実感する話でもある。

参照:Wikipedia 大秦景教流行中国碑
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A7%A6%E6%99%AF%E6%95%99%E6%B5%81%E8%A1%8C%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E7%A2%91

空海(774~835)。
「大秦景教流行中国碑」の建立から10数年後の西暦804年、さらに東の日本から空海が唐に渡る。日本仏教の一大聖人と称えられる彼が降り立った土地には、既にキリスト教徒がいたわけ。

参照:Wikipedia 空海
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E6%B5%B7

それから時は流れて19世紀に、

『空海が伝えた「大日」は「デウス」のことではなかったのか?空海はキリスト教に帰依したのではなかったのか?』

という発想の大転換をした人々がいる。そのうちの一人がエリザベス・アンナ・ゴードンというイギリスの比較宗教学者だそうだ。今考えても荒唐無稽な話だが、彼女は、国際都市・長安を経由して西洋のキリスト教が極東の日本に到達したと考えた。空海がキリスト教を伝えたのだと。

彼女は、その仮説を信じて日本仏教の聖地・高野山に「大秦景教流行中国碑」のレプリカを寄贈した。ムチャクチャな話である。しかし、高野山はそれを受け入れた。節操がないともいえるが、自分は、この高野山の寛容な態度がなんとも。不思議な話だが、石碑は実在するらしい。詳しくは井上氏の著作か、新聞紙面を。

参照:参照:景教碑の謎 
http://www.geocities.jp/kmaz2215/motto/keikyo/keikyo/keikyou-hi.htm

(ちなみに、エリザベス・アンナ・ゴードンさんの名誉のために言っておくけど、彼女は日本からイギリスに帰国後、日本人留学生の援助をしたり、日比谷図書館に10万冊もの書籍を寄贈している。大変に日本を愛してくれた女性。彼女は晩年の5年間を日本で過ごし、日本で他界した。葬儀も京都の東寺(今や世界遺産)でなされ、彼女の遺体は高野山に眠っているらしい。

参照:石羊とゴルドン文庫
http://www.wul.waseda.ac.jp/TENJI/virtual/gordon/index.html

今日はこのへんで。


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